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日本を訪ねて/広島2001年

太平洋戦争以降、「広島」と「長崎」といえば「平和」である。広島は平和記念公園を、長崎は原爆資料館を所有している。1945年8月6日と9日に2つの原子爆弾によってもたらされた廃墟は、実際理解しがたいほどの巨大な塊であった。しかし、記憶されるべきものである事は確かであろう。広島はその様な追悼への道を提供している。海外からの訪問者の中にはこの旅を快く感じない者もあろう。なぜなら平和記念公園は核兵器の惨事を語っているからである。しかしそれは、太平洋戦争における日本の役割を無視しているとも言える。「広島」における歴史的背景は、その重大さによって将来において象徴されるものに置き換えられてしまった。
これがオランダ人アーティスト、ハンス・ファン・ハウエリンゲン(Hans van Houwelingen) によるプロジェクト『日本を訪ねて』においての出発点である。彼は広島と長崎で原爆直後に撮られた19枚の写真を駆使して、彼自身(時には息子と一緒に)をそれらの中に組み入れた。アムステルダムにおけるアンネ・フランクの家、そして広島における平和記念資料館は、戦争犠牲者の行程を追悼すべく訪問者を受け入れている。ハンス・ファン・ハウエリンゲンは視点を、倫理を超えたレベルに持ち込み、我々が追悼するそれらの物の中に彼自身を配置した。彼の映像は記憶における倫理性を問いかけている。彼の作品は悪趣味であろうか、最新の事実上の悲惨なツーリズムの現れか、それとも我々をそのオリジナルの写真を見るとき心に去来する像と向かい合せようとするものなのか?あるいはおそらくその全て?
アーティストは歴史的な記録を操る権利があるのか、それとも彼は顔をそむけがちな人々よりより正直に彼自身を人災の目撃者となしたのか?ちなみに、この写真は広島そして長崎がいかにしてそのものを我々の集合的な記憶の中に植え付けたかを見せてくれる。爆風後の風景作品におけるファン・ハウエリンゲンの介在は、単にオリジナルなイメージでの記憶だけでなく、メディアを行き交う多くの破壊シーンの記憶までをも誘発するであろう。
その一方、これらの操られた写真は、不確実なイメージがいかに歴史的なデータに成りえるかを明白にしている。それらはその写真におけるアーティストの存在ゆえに明らかに事実に反している。しかし、それらはまた操られた数え切れない別の実例をも思い起こさせるのだ。歴史とは、何を記憶するかだけでなく、またいかに記憶するかであろう。その観念において、このフォト・シリーズは真に政治的な芸術作品としてみなされるであろう。ハンス・ファン・ハウエリンゲンの他の作品を知る者は、これらの作品が、人々を驚かせようとするつもりではなく、確固たる直感によって、善意の行動の裏に潜む痛みや戸惑い、しかし語れない様々な問いかけを確認するために作られたものであるという事を理解するだろう。『日本を訪ねて』は現代テクノロジ-の手段によって企てられた旅であり、どこまで我々を犠牲者とみなしえるか、あるいは政治的思考に使用できるかという問いを投げかけている。

イフォ・スミッツ(Ivo Smits)
高田洋子(訳)